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萩(その1) 吉田松陰先生に会いにいきました
創業を考えた時、萩の地で、2年という短期間に 明治維新にむけての多くの優れた若者を輩出した 吉田松陰先生の足跡に触れたいと思いました。 吉田松陰の生誕地や松下村塾のある場所に立って その場の空気に触れ、周りの氣を感じながら気力を得たいと 考えたからです。 そして、念願かなって萩の地に立ち、古に想いを馳せていると 「誠」の言葉が浮かんできました。 「至誠にして動かざるもの、未だこれあらざるなり」 (至誠而 不動者 未之有也)(孟子) 吉田松陰誕生地
萩は、山口県の日本海にそそぐ阿武川の三角州の上にできた城下町で
その三方を唐人山、田床山、面影山の山々に囲まれている。 生誕地は、田床山(373m)を少し登ったところにあり、開放感のある 見晴らしのよいところだ。 ここからは萩市内や日本海が一望でき、こころが落ち着くとともに 大らかな気持ちになった。 生誕地から萩市内を望む 現在は、建物の礎石と松陰産湯の井戸が残っているだけだが、
かつては自宅の前には大きな椎の木があり、 家の後ろの松林では松茸が採れたといわれている。 誕生地の近くにある松陰の墓に立ち寄り手を合わせていると 心の底から熱いものがこみ上げてきた。 この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進の墓のほか 高杉晋作の墓などもある。 松陰生誕地 吉田松陰の生い立ち
吉田松陰は、今から176年前の天保元年(1830年)8月4日、
毛利藩士の杉百合之助(すぎゆりのすけ)の次男として生れた。 兄弟姉妹は七人。父親は家禄26石で、地位は低く豊かではなかった。 その後、叔父である山鹿流兵学師範の吉田大助(よしだだいすけ) の養子となり、吉田家を継ぎ松陰18歳の時、一家は松本村に移る。 松下村塾(しょうかそんじゅく)の歴史
松下村塾は、天保13年(1842年)、松陰の叔父、玉木文之進
(たまきぶんのしん)が始めた塾である。 松下村塾という名は、玉木文之進が松本村にあるため 漢文流に松下(しょうか)と名づけたという。 その後、玉木文之進は忙しくなって家で教えることができなくなり 親戚の久保五郎左衛門(くぼごろうざえもん) が後を引継ぐ。 松陰は、安政元年(1854年)、ペリーが日米和親条約締結のため 来航した時、密航を企てたが失敗し、萩の野山獄に幽因される。 安政2年(1855年)の暮、獄から出されて杉家に帰った松陰は 4畳半の狭い部屋にこもっていたが、やがてこの狭い部屋で 講義を受け持つ。 その後、部屋が狭くなってきたため、杉家の西北にある8畳ほどの 元馬小屋を松陰の教室にすることになり、 松陰指導による 松下村塾が始まる。 ここでの生活は、安政3年(1856年)から安政5年(1858年)まで 2年半近く続く。松陰27歳〜29歳、塾生は72名になっていた。 主な塾生には、桂 小五郎(木戸 考允)、高杉 晋作、久坂 玄瑞 伊藤 博文、山県 有朋、品川 弥二郎、野村 靖などがおり 明治維新にむけて多くの優れた人材が育っていった。 松下村塾 松下村塾の建物と経営
馬小屋を改修した8畳の間と、安政5年の春に増築した10畳半
合わせて18畳あまりの小さくてみすぼらしい建物だが ここから明治維新の原動力となる多くの指導者を輩出した。 8畳の方が教室、10畳半の方が控えの間で、遠くから来ている 門人が寝泊りしたり、食事、休憩などをする部屋である。 控えの間は、休憩室4畳半、荷物置場3畳、控所3畳(松陰の休憩室)があり あとは2畳ほどの土間の炊事場がある。 増築にあたっては、大工をやとい新しい建物を建てる金がないため 町から古家を買ってきて、松陰と門人とで建てたといわれている。 松下村塾は、吉田松陰と杉一家の人たちの協力で成り立っており 塾には身分の高い低いを言わず、誰でも入ることができた。 原則として月謝は不要で、いくらか余裕のある者が気のむいた時に 謝礼を出すという私塾であった。 なお、藩校である明倫館は、身分ある武士の家の子でなくては 入学することができなかったという。 松下村塾内部 塾での勉強
塾では、「読書」と「勤勉」を二大目標とした。
「人はだれでも長所を持っている。その長所を見つけて伸ばしていく」 ことを基本に、教育には、戦の方法、漢学、歴史、地理、西洋事情など あらゆるものを取り入れたという。 松陰の講義もあったが、先生と門人が共同して研究し学んでいく風で 楽しく国のことや世の中のことを討議した。 そして、「日本人としての心がまえ」を一番強く説いたという。 さらに松陰と生徒が一緒に畑をたがやし、草をとり、米もつき 毎日食べる野菜を作りながら勉強したといわれている。 松下村塾の周辺
松下村塾周辺の景観は里山で、気持ちが落ち着く。 近くには、松陰神社や玉木文之進旧宅、 伊藤博文旧宅・別邸などがある。 また、禅宗の一派である黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で 毛利氏の菩提寺である東光寺がある。 東光寺の総門、三門、鐘楼、大雄宝殿は、国の重要文化財に 指定されており、石灯籠が約500基立ち並ぶさまは壮大だ。 寺院の奥に進むに従い、静寂さが体を包みこみ霊験さを感じた。 東光寺と鬼瓦 鬼瓦せんべい 参考文献 「新日本の光 吉田松陰」 田中俊資著(昭和34年10月) 「維新の先覚 吉田松陰」 平成13年7月 (財)山口県教育会発行 「萩市役所、萩観光協会資料」 |
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