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宮島を歩く(その2)

紅葉谷公園から自然散策道「もみじ歩道」「あせび歩道」



紅葉谷公園から自然散策道にはいり、「もみじ歩道」、「あせび歩道」経由で
大元公園まで歩きます。
厳島神社から紅葉谷公園までの歩道は、行楽シーズンになると肩と肩が
触れ合うような人の波。
最近、欧米やアジアからの外国人観光客を多く見るようになりました。

公園の入り口にかかる「もみじ橋」周辺から紅葉谷公園にかけては、
モミジが紅葉する秋の季節が最も美しく、赤、橙、緑などいろいろなモミジの
葉が、陽の光に輝くときがきれいです。
この時期になると、「もみじ橋」は写真を撮る人や橋を渡る人で混雑します。


紅葉谷    紅葉谷 


藤の棚公園の先端部に行く人は少ないのですが、木々に囲まれ、
五重塔が見え、気持ちよく過ごせます。 休息していると鹿が近寄ってきました。
休息後、自然散策道から大聖院を目指します。

途中、大鳥居がほぼ正面に見える場所があったので、
写真を撮りたいと石の台に上がると、グラついて一瞬バランスを崩しました。
近くの男性から「大丈夫ですか」と声をかけられましたが
何もなかったので安堵して「大丈夫です」とお礼を述べ、先に進む。

自然散策道は、土の道なので足にやさしく心地よく、また自然の樹木に
囲まれているので空気がおいしく、元気がもらえる道です。

町内のいたるところでみかける馬酔木(あせび)は、2月から4月にかけて
釣鐘状の白い花をつけます。葉は有毒で鹿が食べませんが、町の花に
指定されています。

滝小路から少し入ったところに、坂道の石段とモミジ、白壁の塀とが調和して
美しいところがあり、好きな場所です。
大聖院の入り口では、お年寄りのグループが水彩画を描いていました。


自然散策道  自然散策道 


大聖院(だいしょういん)
 
正式には多喜山水精寺。
大聖院(真言宗)は、厳島神社からは南へ歩いて5分のところにあり、
もと厳島神社の別当寺で神社の法会をつとめていた。
寺伝によれば、大同元年(806)弘法大師空海が弥山を開基して以来
1200年の歴史を持ち、弥山山頂にある霊火堂などの管理にも携わって
きた。
また皇室との関係も深くて明治天皇行幸の際の宿泊先にもなった。
大聖院の入口には仁王門があり、仁王尊が門を守っている。
仁王門を通って石段を上がっていくと、御成門がある。
門をくぐると本坊である。本坊には、大聖院で最も大きな建物の観音堂、
御祈祷所の魔尼殿(まにでん)、本堂の勅願堂(ちょくがんどう)、
四国八十八ヶ所の本尊が安置されている遍照窟(へんじょうくつ)、
弥山を開基したと伝わる弘法大師空海を祀る大師堂(だいしどう)、
八角万福堂などがある。

大聖院は木々の緑と静寂さに包まれた寺院で、ここからの宮島の眺めは
よい。 また、弥山山頂にある霊火堂の「きえずの火」は、大同元年(806)
に弘法大師がここで修業を行なって以来、1200年近くも消えることなく
燃え続けているという不思議な火で、広島平和記念公園のともしびの火
のもとにもなっている。

 仁王門表   仁王門裏   

   魔尼殿      勅願堂  

  大聖院の屋根瓦


多宝塔(たほうとう)重要文化財
 
 大聖院から、さらに先に進むと眼下が開け多宝塔が見えてくる。
 厳島神社の西の丘にある多宝塔は、高さ15.6m。
 和様を基調に一部に天竺様を取り入れ、丸と方形の組み合わせが美しい。
 室町時代の大永3年(1523年)に建立されたといわれている。

 弘治元年(1555年)の厳島合戦の時、陶晴賢(すえはるたか)が陣所を
 設けた場所で、その周辺は桜の名所だ。
 桜の季節には、多宝塔とその周辺は桜色のじゅうたんを敷いたようになり、
 まさに1年に1度のすばらしい光景となる。

 多宝塔の近くで、中年のおじさんが山道を登っている。
 何故、こんなところを登っているのか思って見ていると、
 「上にいいところがありますよ」と声をかけてきた。
 その言葉に誘われて私も登ってみると、目の前が急に開けてきた。
 足元はよくないが、多宝塔をまじかに見て、その先には大鳥居と瀬戸の海が
 見える場所だ。
 先ほどのおじさんが、カメラで写真を撮っている。
 「いいところですね」と言うと、「桜が咲いたときが最高ですよ」と言われた。
 下に降りてみると、厳島合戦のとき、陶晴賢が陣を設けたという勝山城跡
 の碑が立っていた。


       多宝塔 


大元神社(おおもとじんじゃ)重要文化財

 多宝塔からさらに歩いていくと、大元公園に出る。
 大元公園にある大元神社は、厳島神社の摂社である。
 社殿の六枚重三段葺き(ろくまいがさねさんだんぶき)の柿葺き屋根は、
 現存する日本最古のものといわれている。
 また、約300年前の江戸時代中期の厳島八景の中に、
 大元公園の桜の景色を描いた「大元櫻花(おおもとさくらばな)」がある。


宮島歴史民俗資料館

 大元神社からの帰りに宮島歴史民俗資料館による。
 約500坪の敷地に、180年前の建築といわれる醤油の製造販売業を
 営んでいた豪商の民家の母屋と土蔵が保存されている。
 建物の黒光りする格子は、簡素で美しい。
 また、敷地の中ほどには池のある庭園がある。
 ここには、宮島の庶民生活に根ざした民俗資料や歴史資料などが
 展示されている。

代表的な民家のつくり(宮島歴史民俗資料館資料より)
     
宮島の一般の町家は、開口が狭く奥行きが深い。
大戸からはいるとずっと奥まで「通り庭」(通し土間ともいう)になっており、
それに沿ってミセ(表の間)、オウエ(中の間)、ザシキ(奥の間)と続く。
オウエ(オイエともいわれる)には天井がなく、戸棚の上には神棚が
まつられている。

滝小路(たきのこうじ)と上卿(しょうけい)屋敷 重要文化財 林家住宅
   
厳島神社から大聖院へ至るゆるやかな坂道が滝小路(たきのこうじ)
と呼ばれ、かつては社家、寺院の屋敷町であった。
今でも神職の住まいなどがあり、独特の街並をつくっている静かな小路だ。

滝小路にある上卿屋敷は、明治始めころまで、祭事のときに
朝廷から差遣わされる奉幣使(ほうへいし)の代参を務めた江戸時代の
神職の屋敷で、当時のままの建築様式を残す貴重な建物だ。
見学は日曜日のみで、予約が必要。
表門の屋根は柿葺(こけらぶ)き、門には鹿の進入を防ぐ戸がある。
主屋は入母屋造り、桟瓦葺き、妻入り。
民家には珍しい上段の間があり、畳が一段、高くなっている。
庭園は池泉(ちせん)観賞式となっており、建物と同じ江戸中期の作
といわれる。
また上卿屋敷の向かいは、宮島にたった一軒残る宮島土鈴の工房
があり、土鈴が作られている。

柿葺き:
 屋根を葺くのに用いる杉、ひのきなどの薄い削り板で屋根をふくこと。
入母屋(いりもや):
 屋根の上方は切妻造り、下方は寄棟造りのように四方にひさしを
 葺きおろす屋根の形式のひとつ。
桟瓦(さんがわら):
 断面が波形で、一隅または二隅に切り込みのある瓦。
 江戸時代以降に用いられている。
妻入り:
 建物の妻側に入り口を設けて正面とする建築様式。

滝小路  滝小路


 滝小路
        

大願寺(だいがんじ)
     
正式には、亀居山方光院(ききょざんほうこういん)という。
大願寺厳島神社西出口にある真言宗のお寺で、鎌倉時代の
建仁年間(1201〜03年)、僧了海(りょうかい)によう開基といわれ
ており、数多くの重要文化財の仏像を収蔵している。
明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として、寺院の修理
や造営を担っていた。
慶応2年(1866)第2次長州戦争の休戦交渉の場となり、幕府の
勝安房守(勝海舟)と長州の桂小五郎(木戸考允)が会談をしたところ
である。

大鳥居 重要文化財
     
大鳥居の創建は明らかでないが、記録に現れるのは平安時代の
仁安三年(1168年)、平清盛の建立時からといわれる。
現在の大鳥居は、明治8年(1875年)の再造で、高さ約16メートル、
主柱の周囲約10メートル、重量約60トンの四脚鳥居である。
楠の自然木を使用しており、海中に埋めているのではなく
自分の重みで建っている。
鳥居上部の島木は箱形の造りになっており、中にこぶし大の玉石
約7トンを詰めて重しにしている。

         鳥居   

 
厳島神社(いつくしまじんじゃ) 重要文化財
 
創建は、推古天皇即位元年(593年)、佐伯鞍職(さえきくらもと)による
とされ、平安時代の仁安3年 (1168年)、平清盛によりいまのような
華麗な姿に改められ、寝殿造りの建築様式を見ることができる。
本殿、平舞台、高舞台、能舞台、そり橋など見どころが多い。

厳島神社には国宝の平家納経をはじめ、刀剣や鎧、舞楽の面など
数多くの文化遺産が伝えられており、厳島神社宝物館で見学できる。

厳島神社は、鎌倉時代末期の1325年以降、自然災害による被害が
繰り返された歴史が残っている(旧宮島町史)。
近年は地球温暖化の影響により、台風や高潮、異常潮位など
風と潮による自然災害の脅威にさらされている。

2004年の台風18号では、国宝・重要文化財30棟が倒壊や破損を
受け、2年がかりの大規模な修復が行なわれた。
海上建築という立地条件が他の建物とは大きく違うものを、
先人たちはよくぞ建築したものだ。

神社の本殿を海潮の災害から守る仕組みが、高木幹雄広島大
大学院教授の解明で次のように明らかになってきた。
                    (中国新聞2006年11月29日)
「巨大な板を海上に浮かせるメガフロートの構造とそっくりで、
 平清盛以来、8百年余の歳月で生れた知恵ではないか。
 海中の礎石の上に置いただけの平舞台は、五つのパーツに分かれ、
 いかだのように浮く構造になっている。
 さらに板と板の1センチ弱のすき間が大きな波のエネルギーを
 弱めてくれる。
 高潮の際は、重さが1枚200キロの拝殿、祓殿の床板が持ち上がる
 ことで波の力が抑えられ、最も重要な本殿を守る仕組みになって
 いる」


町家通り(まちやどおり)

桟橋への帰り道は、町家通りを歩く。
町家通りは、宮島桟橋から五重塔に通じる道の通称である。
江戸時代初期に埋め立てられ、宮島が最も華やいだ時代の
メインストリートとなったところで、当時本町筋と呼ばれていた。


町家通り    町家通り 


    町家通り     町家通り  


戦後、観光客は表参道商店街に移り、町家通りは町民の生活通りとなった。
町家通りと呼ばれるようになったのは、伝統的な町家建築が注目をあびた
2001年頃からといわれている。
今も町家通りは、江戸時代から戦前にかけての町家が残っており、
生活の香りと人のぬくもりの中に歴史を感じさせる。
この通りは観光客が少ないため、ゆっくりと街並みを楽しみながら
散策ができる。

表参道(おもてさんどう) は、観光客が最も多く見られる表参道商店街で
みやげ物屋、旅館、飲食店などが並んでいる。
この辺りが埋め立てられたのは江戸時代後期といわれている。


町家通り   五重塔



参考文献
 「ふるさとの散歩道」(財)国土地理協会、広島観光連盟 昭和58年発行
 「広島県の歴史散歩」広島県歴史散歩研究会偏1992年発行
 「広島県文化百選」建物偏 (株)中国新聞社発行 昭和61年発行
 中国新聞
 宮島町・宮島観光協会・大聖院HP


  
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